そうなんです。
寸子はこう見えても6月の花嫁、ジューン ブライドでございます。
「6月の花嫁は幸せになる」とか、ならないとか、過ぎ去りし日の大昔に聞いたような気もしなくはないですが。
そして、この記念すべき6月25日に寸子にとってもうひとつ、新しい記念日を重ねることになりました。
本日 2009年6月25日をもちまして
「失業主婦の生き方リクルート」は卒業させて?頂く運びとなりました。
有り難い事に、こんな寸子のブログでも惜しんで下さる読者さんもいらっしゃいまして、
「毎日更新しなくても、1週間に1回とかなら可能では?」
と言って下さった読者さんも数名いらっしゃいます。
それも考えましたが、これでも半年間ほぼ毎日書いていくうちに、生意気にも、読者数も数少ないくせに、寸子なりの自分のブログに対する幾つかのこだわりも出てきまして、やはり一旦は完全に閉鎖することを選択しました。
昨年暮れに職場を退職しまして、その時に思った事は
もう、経理職には戻りたくない
もう、人に雇われるのではなく、収入が下がっても自分1人で自宅で出来る仕事を探したい、でした。
この気持ちは今も変ってはおりませんが、では実際に
何がある?何が出来る?
と考えたときにネットビジネスくらいしか浮かびませんでした。
ネットビジネスの中にも、アフィリエイトや自分でショップを開いたり、また情報商材を自分で作成したり、など色々ありまして、とにかく、
「このパソコン音痴を何とかせねば」との半分は練習を兼ねてと、ネットの世界を知るために自分のブログを立ち上げたわけです。
そして願わくば、そこから自分がやりたい事が見つかればと。
それがいざ始めてみると、ネタ切れに度々悩まされながらも、そうは言っても人間で、生きて生活している以上は何か見つかるわけで、毎日の更新が楽しくてたまらなくなりました。
ほぼ毎日、何かしか書いていくうちに、自分がやりたい事とは「書く」ことだと気が付きました。
なので、今度はこの自分が好きで、やりたい「書く」事で何か収入に結び付けられないかと考えるようになりました。
そしてこれは探せば切りなくある事はわかりましたが、食える程の金額にはならず、いくら収入が多少下がっても構わないとは言えども、これでは現実問題として生活が成り立たないのです。
それこそ、林真理子や柳美里くらいの売れ子作家にでもなれば別ですが。
では、それが無理ならばせめて、自分が好きな「書く」事で生計を建てる事は出来なくても、自分のライフスタイルの中のどこかに組み入れた生き方をしていきたいと思うようになりました。
それではなぜ閉鎖するのか?ですが、
寸子がブログを辞めると言いましたら、娘や息子だけでなく、ダンナまでもが
「そんな〜、なんで辞めるの〜?ランキング1位になるまで頑張ればいいじゃないか〜?ママなら絶対になれるよ!」と必死で言ってくれました。
しかし、寸子の特技は人の腹を読むこと。
そんな言葉にホロリと引っかかるほど愚かではありません。
寸子は知っているのです。
ダンナにしても、子供達にしても、この妻や母には何か夢中になる事をさせておく方が、たとえ飯炊きをしてくれなくても、自分達にとっては口喧しい小言や干渉の目から逃れられて楽だと思っている事くらい。
だから閉鎖するのです!
とは半分冗談ですが半分は本音の話です。
お恥ずかしい話がこの半年間、ブログに情熱をささげ、寝ている時とキョン子姉御と一杯やっている時以外は頭の中は常にブログのネタ探しか我が家の資金繰り。
お陰様で、資金繰りは日々悪化の状態が続いておりますが、アクセス数は増えました。
まあ、この「いじめ」のテーマになって応援クリックはなぜか減りましたが、それでもアクセスは変らず、読者さんが1日当たりの読んで下さるページビューは1日平均で100ページ増えています。
ですが、
寸子のアクセス数とバカ息子の成績低下は正比例
寸子のアクセス数と娘の体重増加は正比例
寸子のアクセス数とお母ちゃんの体力老化は正比例
寸子のアクセス数と我が家の資金繰り悪化は正比例
ダンナは知りません。
半年間、好きな事をさせて貰いました。
昨年暮れに退職して1年の半分が過ぎました。
なので、一度ここできちんと生活の基盤を固めなおし、親として、娘として、妻としては特別ありませんが、最低限の義務は果たしながら、その上で自分がやりたい事をしようと思うようになりました。
そして、今回「いじめ」をテーマに11記事ほど書きましたが、
この「いじめ」のテーマを書くにあたりましては、もう一番古い記憶で10年も前であるにも関わらず、思い出しては悔しさや恨み、そして息子の、まだ大人のように自分の感情表現を言葉にも出来ない年齢で、その時の息子の胸のうちを思うと、書きながら動悸が激しくなり、キーボードを打ちながらも涙で文字が見えなくなったりで、休み休み、思った以上の時間を費やしました。
息子のクラスの生徒の母親が「いじめをなくす会」の活動をボランティアでされていらっしゃる方がおりまして、以前から、ブログを立ち上げる前から、一度このお母さんにこの活動内容の話を聞いて、参加してみたいと思っておりました。
まだアポイントはとってはおりませんが。
いじめ以外でも青少年犯罪が絶たず、集団リンチなどによって我が子を亡くされた方々も大勢いらっしゃいます。
いつの日か、この親御さん達の悲痛な叫びを、親御さん達に代わって書いてみたいと思っています。
どこかで、どこかに、何かを書いている、そんな生き方をしたいと思っています。
今年2009年1月15日にブログを立ち上げてから今日で162日経ちました。
その間に書いた記事数も147記事となりました。
この寸子、感無量でございます。
ブログは閉鎖しますが削除はせずにそのまま公開しておきます。
そしてコメント欄へのお返事は書けませんが、メッセージからは受け付けます。
この寸子の書いた記事の中の何か一つでも思い出し、読んで癒しになればこの上ない喜びです。
今日までお付き合い頂きまして、そしてコメントを入れて下さった方々、有難うございました。
読者さん達に今まで寸子のブログを読んで頂いた御礼と閉鎖のご挨拶を何と言おうかずっと考えていました。
キャンディースの引退記者会見のように
「寸子は、もう、ふつ〜のオバサンに戻りたい。」
または 山口百恵の婚約・引退会見のように
「寸子は、とてもわがままな道を選びました。」
または 松田聖子の郷ひろみとの破局会見のように、嘘泣きブリッ子で
「今度、生まれ変わっても、また絶対に寸子の読者さんになってね、エ〜ン。」
でも、そうではなくて、最後まで寸子が考えた、寸子流のご挨拶と御礼です。
まだブログを続けていたらいつか記事に書いただろうと思うお話です。
この話も寸子にとっては忘れる事の出来ない、今でも時々思い出すお話です。
寸子が23〜24歳の時です。
高校の先輩(男)が独立しまして、電話番とお茶くみでいいから手伝って欲しいと言われ、まあ、寸子もこの時は怪我でリハビリ中の体で、完全にフルタイムで勤務は出来ない状態でしたので引き受けたんです。
それで、その先輩ですが、何の商売で独立したかと言いますと、「サラ金」です。
サラ金だから尚更の事、女の事務員がいるのといないのでは、お客(借入人)の安心感が違うからです。
それで、この先輩の妹とは寸子は親友でもあり、よく飲みにも連れて行ってもらったりもしていましたので、寸子にとっては優しい、ケンカも強い、オンナにモテる男前な先輩だったんです。
それがいざ仕事の顔になると別人なんです。
寸子にではなくですよ。
お客に対してです。
特に取り立ては半端ではありません。
かなり前に、日栄かどこかの社員が債務者の家に電話で
「目玉売れ!肝臓売れ!」と言って脅して逮捕されましたが、あんなもんじゃありません。
も〜、寸子も見ていられない、聞いていられないくらいにお客が可哀想なのと、寸子の知っている先輩じゃない!という思いで毎日先輩に
「辞めさせて!」「今日で辞める!」って言っていたんです。
ある日、他の男社員も出払って、寸子と先輩だけになった時に話してくれたことなんですが。
先輩がまだ独立する前、やはりサラ金会社の社員だった時の話です。
いよいよ自分の担当の顧客で、回収不可能だと判断したときは、2人くらいの応援を連れて顧客の家に乗り込むそうです。
この応援とは同じ会社の社員です。
そしてわざと自分は地味なスーツを着て、応援の者達はギンギラのチンピラ風情のスーツで行くそうです。
そして担当者は借金を繰り返して止まないダンナに静かに説教をたれるそうです。
こんな風に、
「ダンナさんね、いい加減に奥さんや子供の事も考えたらどうなの?ダンナには出来すぎる程のこんな良い奥さんをこんなに苦労させてどうするの?」
奥さんは横に座ってシクシク泣くそうです。
子供達は布団に入って寝た振りしながら会話を聞いているそうです。
この間に、応援団二人はあちらこちらの部屋を行ったり来たりしながら今度はわざと聞こえるように
「今、このあたりだと土地の値段は一坪いくらくらいかな?」
「いや〜、たいした金額にはならないでしょ〜、あっ、山田の親分に言ったらこの物件、引き取ってもらえるかも。」
こんな会話を聞こえよがしにされたら、ビビリますよね〜。
それで、この家その物には価値はなく、売り飛ばしてもまだ多額の、他からの借金は残ると脅し、
「よ〜し、わかった!この家はうちが押さえた!残りの残金は棒引きにしてやるから!それで、あんたらもここにいると他からの取立てもあんだろ〜、当面の住む場所はこっちが手配するから、早い方がいい、身の回りの必要な物を持って今日中にここを出ちゃいな、車もこっち手配した。あんたらが出たら、あとは全部こっちが引き受けるから安心しな。」
そして手配したKトラックに一家全員と、この夫婦が急いで荷造りした少々の荷物を積んで応援団の1人が運転し、事前に用意してあったボロアパートまで送っていくそうです。
そしてこの家の主たちが去った後、この家の中をぐるりと眺めながら、押入れや洋服ダンスなどを意味もなく開けると必ず、アルバムを忘れて行くのだそうです。
興味もない、他人の家のアルバムを無造作に1ページ1ページとめくると、そこには確かにこの一家にも喜びと希望に包まれた幸せな時代もあった事。
この時だけは
「おれ、何でこの職業えらんじゃったんだろう?」と後悔するそうです。
そして、家具や電化製品やその他諸々、産廃業社に引き取らせるんですが、やはりこのアルバムだけはゴミとして出す気にはなれず、落ち着いた頃に届けてあげるそうです。
このアルバムを渡すとどの奥さんも、夜逃げをした日以上に泣くそうです。
そして、心の底から
「わざわざ届けて下さって有難うございます。」
と言ってくれるそうです。
この時に言われる有難うが一番辛く、嬉しいそうです。
読者の皆様、本当に有難うございました。
読者さんと読者さんの大切な人々の健康と幸福をお祈りいたします。
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